福岡地方裁判所大牟田支部 昭和42年(ワ)183号 判決
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〔判決理由〕一、先ず、本件紛争の発端と経過について考えるに、<証拠>並びに弁論の全趣旨を総合すれば次の事実が認められる。
(イ) 塚本勝子(昭和一八年二月一五日生)は昭和四〇年一月から本件組合に勤め、当初購買販売係であつたが同年六月中旬頃からは退職した原田春海の後任として経理係を担当することとなつた。
(ロ) 同年七月二四日頃、組合長である被告西田茂は組合職員である福田幸治に命じて福岡銀行五月橋支店に赴かせて同被告が組合のため管理していた組合員高畑若松個人名義の同銀行五月橋支店に対する普通預金を解約させたが、同日、その払戻預金七万二〇〇三円のうち金一万円を高畑若松に交付することと残金六万二〇〇三円と用済みの銀行預金通帳及び利息計算書の保管方をこれらを同被告宅に届けに来た塚本勝子に命じた。そこで同女はこれらを組合の金庫に保管していたが、数日して同女が高畑若松に金一万円を支払つた頃に同被告は組合事務室において同女から組合備付けの小封筒に入れた右の残金、通帳、計算書及び高畑若松の金一万円の領収書等を受領し同被告の自宅に持ち帰つた。被告西田茂と塚本勝子との右の小封筒の受渡しの場には原告のほか二、三名の者が居合せた。しかして同被告は同日中に右の金銭や通帳等を封筒ごと紛失してしまつた。
(ハ) 被告西田茂は身辺を捜すけれども塚本勝子から受領した前記の金銭や通帳等が封筒ごと見当らないため、先ず原告に、次いで塚本勝子にもそれぞれ個々的に確かめたが、両人とも、同被告が以前にこれらを受領し自宅に帰つた旨を指摘したため、同被告は更に自宅などを捜したが遂にこれを発見できなかつた。
(ニ) ところで昭和四〇年当時、組合経理係の仕事として「別小間料」の徴収業務があつた。これは組合員中に組合から配分したほかに海苔の小間立てをしている者があることが発覚したので、組合では、右の配分外小間立てにつき一小間当り金一万円の制裁金を徴収して組合の正規の会計とは別途に積立て、これを組合員の観光慰安旅行費に充てることとし、組合の取引金融機関外の西日本相互銀行大牟田支店に被告西田茂名義の普通預金口座を新設し、これに右徴収金を預け入れることとしたことに基づくものであつた。その結果、塚本勝子の前任者原田春海が徴収し右口座に預け入れた別小間料は昭和四〇年二月から同年四月までの間で合計金六〇万円、塚本勝子のそれは同年八月中だけで合計金一六三万五〇〇〇円であつた。
ところが、本件組合は昭和四〇年五、六月頃、有明漁業協同組合連合会からモデル組合として推薦指定されたこともあつて前記のような、いわゆる簿外の徴収金のあることが税務署に知れるようなことがあつては都合が悪い事態となり、被告西田茂は組合長として塚本勝子に対し、同被告個人名義の前記預金通帳とともに別小間の間係書類を組合事務所外に隠匿するよう指示した。そこで同女は同被告と相談の上、組合管理人池松チヨ宅に右通帳と帳簿を預けたが、その際、塚本勝子が別小間料として同年一〇月二日伊藤公子から徴収した五万円及び同月四日大山武夫から徴収した金一万円、合計金六万円も現金のまま、右通帳や帳簿とともに組合備付の大封筒に入れて池松チヨ宅に預けられた。右の大封筒が池松チヨ宅に預けられた時期は<証拠>により昭和四〇年一〇月六日以後のことと推測され、同年一二月一一日にいたり、塚本勝子は右の大封筒を管理人宅から取戻し、同日、前記の現金六万円を被告西田茂の前記口座に預け入れた。
(ホ) ところで組合事務員福田幸治は昭和四一年三月に組合を辞めたが、同年五月頃になつて、前年の暮に大牟田市から海苔の研究費として組合に支給された筈の金二万円の補助金の行方が判らなくなるという事件が発生した。福田は当初、昭和四〇年一二月に大牟田市から右の補助金を受取りに来るよう組合に連絡があつて同人が市役所に出向いたか市役所の方から右補助金は研究費として市に貸してもらいたいと相談されて承知したと述べ、この点、塚本勝子の記憶と符合するものであつたが、更に、その預りを証する書類を組合に持ち帰つて組合の市関係の書類綴じに綴じ込んであると説明した。しかし市がこのようなことを否定し、かつ、福田の云う預り証も発見できなかつたところ、同人は次に金を西田豊吉の印鑑とともに封筒に入れて経理係である塚本勝子に渡したと主張しはじめるにいたつた。その結果、塚本勝子、被告西田茂、西田豊吉、原告、福田及び福田の兄が話し合つた結果、福田が四、塚本勝子が六の割合で金二万円を組合へ弁償することとなつたが、福田は当時既に組合を辞めていたので結局、塚本勝子が昭和四一年五月二七日金二万円全額を組合へ支払い、ここに右事件は落着した。
(ヘ) ところが昭和四一年八月になつて、池松チヨの夫である池松源義が西田豊吉に対し、被告西田茂が何か書類を捜しているようだが、もしかしたら以前自分が塚本勝子から預つたことがある書類のことではなかろうかと告げたことから、西田豊吉、田中滋文及び原告が塚本勝子を呼んでことの真相を調査したが、その結果は前記(二)後段のような事情のもとに預けられた書類及び金銭であることが判明した。池松源義夫妻の話によつて、塚本勝子が池松宅に預けた金は自分が紛失した前記(ロ)の金に相違ないと考え一旦は同女に横領ないし窃盗の嫌疑をかけた被告西田茂も右調査結果によつて自己の紛失金とかかわりのないことを理解したが、同女を疑つた折に、同女に対し金六万二〇〇三円はあんたが盗つた、組合を辞めてもらわねばならぬと口走つたことから同女と烈しく口論したりしたため同被告と同女との関係が悪化してしまうこととなつた。この口論の際、同女に証人として呼ばれた原告は同被告に前記(ハ)と同旨のことを説明したうえ同被告の同女に対する態度をたしなめた。しかし、この出来事があつてからは同被告は原告に対し、もはや同女を組合長として使いきれないから辞めてもらいたいと頼むようになり、原告も同被告の意向にそつて尽力し、その結果、同年九月一〇日、同被告は同女に対し金六万二〇〇三円は自分が受取つたようでもあるので責任を持つから円満解決のため辞職願いを提出して欲しいと正式に申入れ、原告の説得もあつて、同日、同女は組合宛に辞職願を提出するにいたつた。
(ト) ところが、翌一一日頃開催された組合役員会で塚本勝子の辞職願が審議されることとなるや、右役員会会場には異例にも被告西田茂の甥である被告猿渡らの組合員や、被告西田茂の弟である被告西田博士らの組合員の家族である者たち多数が傍聴と称して詰め掛け、前述の金二万円の件、金六万円の件金六万二〇〇三円の件その他塚本勝子の経理上の不手際などを呼ばわり、右辞職願提出の事情を説明する原告に対し、こもごも、原告と塚本勝子は共犯で組合の金を費い込んだとか、原告と同女が一緒に赤田公園に泊りに行つた証拠写真などもあるとか原告を中傷する趣旨の発言をし、特に被告西田博士においては事情説明中の原告を写真撮影したり、その声をテープレコーダーで録音するなどし、右役員会は喧噪のうちに流会となつた。
その間、役員会の議長を勤める被告西田茂は一言も発せず、塚本勝子から辞職願が出されたいきさつについて説明することなく、また、前記傍聴者の喧噪を極めた言動を何ら制止しようとしなかつた。
(チ) 次いで同月中旬頃に開催された役員会の会場にも前同様、被告西田博士及び同猿渡を含む多数の者が押し掛けて前同様の発言をしたほか、原告が塚本勝子と共謀で組合の金を費い込んだ事実の有無について組合内に調査委員会を設けよなどの発言をして原告を攻撃した。このときも、被告西田茂はこれら傍聴者らの言動を何ら制止しなかつた。
(リ) かくして同月二〇日開催の役員会の模様も前同様で、ここにおいて遂に塚本勝子を越権行為と職務怠慢を理由として不都合解雇とする旨の決定がなされ、同月二二日頃、同女に解雇通知書が送付された。
(ヌ) さらに同月三〇日に開催された役員会においては、被告西田茂は役員会傍聴者から調査委員会設置の要望もあるからこれを設置すべきことを提案するにいたり、その場でこれが可決され、各部落から一人ずつ合計一〇名の調査委員が選ばれることとなつた。
(ル) ところで、調査委員会は傍聴者らの要望に応えるためのものとされたから、その設置目的は前述の金二万円の件と金六万円の件と金六万二〇〇三円の件について塚本勝子に対する費い込みその他の嫌疑の有無を調査目的としたものであるが、それは、とりもなおさず、終始同女の立場を弁護した原告に対する嫌疑の有無の調査としての性格を帯びたものとなつた。ここにいたり、原告も止むをえず同女に対する監督不行届の責を負うという理由のもとに組合監事を辞任することを決意し、同年一〇月下旬、組合宛に、その日付を役員会が塚本勝子を不都合解雇と決定した同年九月二〇日として辞任願を提出した。右願はその後の役員会で保留されたまま翌四二年五月原告は任期満了により監事の職を離れた。
(ヲ) ところで調査委員会の委員長となつた被告猿渡は同年一一月一〇日午後五時頃、金六万二〇〇三円の件で原告宅に事情聴収に赴くにあたり被告西田博士ほか三名を同道し、家人から原告が不在である旨告げられてなお原告宅の玄関先に二、三〇分滞留し、被告西田博士が大声をもつて家人に対し、原告が組合の金を勝手にしているとか、塚本勝子と赤田公園に行つたとか呼ばわるに任せた。
かくして、調査委員会の設置と活動は原告と塚本勝子との仲に対するいわれなき噂や両者にかけられた金銭費い込みの嫌疑を手鎌地区一帯の者に知れわたらせることとなつた。その結果、原告の妻及び三人の娘は当地区において肩身の狭い思いをすることとなり、原告に対しても不信感を抱くようになり、原告は夫として、また父親として権威を失墜した。
また、昭和四一年一〇月から昭和四二年二月にかけては一般にのり養殖業者にとつて繁忙期であるが、原告は本件事件のため事業面に種々支障を来たし、充分の作業が出来なかつた。
(ワ) ところが昭和四二年一〇月頃にいたり、原告と被告西田茂、同西田博士らの兄弟で被告猿渡の伯父にあたる組合理事西田豊吉と田中滋文の三者間で本件の解決策につき協議がなされ、その結果、組合の平和のためということで金銭問題は西田豊吉と田中滋文が自費で弁償し、また、右両名において、原告宅にて原告の妻らの面前で原告を誹謗した者たちを原告宅に謝罪に寄越させることとし、その代りに、原告は組合役員会において自己の監督不行届のため紛争が起きたことを詑びることとする旨の話合いがまとまり、さらに田中滋文宅で被告西田茂も加えて本件を円満解決することを相互に確認し合い、ここに同月二六日の役員会において原告は前記約束を履行して謝罪した。他方、原告に対し謝罪すべく約されていた者たちは約に反し何ら誠意を示さないため、ここに原告は裁判により一切の決着をつけるべく同年一一月、本訴を提起するにいたつた。
およそ以上の各事実が認められ、証人西田豊吉及び同田中滋文の各証言並びに原告及び被告らの各本人尋問の結果中、右認定に反する部分は爾余の証拠と対比して、にわかに措信しがたく、他に右認定をくつがえすに足る証拠はない。
三、そこで前認定の事実関係に基づき原告の本件慰藉料の請求について判断する。
(い) 高畑若松名義の預金払戻金残の金六万二〇〇三円の件については、払戻しがなされた直後の昭和四〇年七月末頃の時点で被告西田茂が紛失したものと、ときの関係者であつた塚本勝子と同被告との間では既に確認済の出来事であつたのである。従つて同被告としてはいさぎよく、速やかにこれを組合へ弁償すべき筋合いであつたが、同被告は右紛失金員が正規の組合預金の払戻金でなかつたためか、その責任をとることなく放置していた。
(ろ) 市補助金二万円の件は昭和四一年五月頃になつて問題とされるにいたつたものであるが、福田幸治と塚本勝子の両者とも責任ありということで被告西田茂も関与して事件解決案が示され、これによつて同月二七日には塚本勝子から組合へ金二万円全額が弁償され、これにより、同女は当時、この件については既に免責されたものであつた。
(は) 管理人池松宅に預けられた金六万円というのも、結局、被告西田茂の指示によつて預けることとなつた銀行預金前の別小間料に過ぎなかつた。そのことは昭和四一年八月当時、同被告も十分了解したことであつた。
(に) なるほど、市補助金の件でうかがえるように、塚本勝子には経理係としてはいささか放漫な会計をなした点もあるが、これは同女が若年であつたことにもよるであろうが、そのほかに、税務署対策のため個人名義の銀行預金口座を設けていたなどのことからうかがえるように、本件組合の経理の複雑性、不明朗さとも無関係ではなかつたろうと推測される。
ともあれ、同女が組合経理係として不適任と思料されるならば、同女を組合内において配置換えをすれば足りる。従つて、被告西田茂が同女の退職を強く希望した所以は、前認定第二項(ヘ)記載のいきさつに端を発した私怨によるものといわざるをえない。
(ほ) ところで、前記(い)(ろ)(は)の諸事情について、全てに関与した原告は、一般の組合員らから見れば余りに知りすぎていると見え、塚本勝子の肩ばかり持つ男と映り、原告に較べ、一般の組合員らは余りに知らなさすぎることであつた。あるいは、余りに知らされないで来た、ということもできよう。更には、前記(い)の金六万二〇〇三円と(は)の金六万円とが偶然とはいえ余りにも近似した金額であつたことが永く一般組合員らの正確な理解をさまたげたようである。
従つて、役員会において塚本勝子の辞職願が議案となつて審議される際にも、被告西田茂は原告以上に前記(い)(ろ)(は)の諸事情にくわしい立場にあつたのであるから、右辞職願を受理すべきかどうかといつた単純な問題が発展し、同女を不都合解雇とすべきかどうかの問題となつた時点で、進んで前記事情を、これらに疎い役員や傍聴者に説明し事態を円満に収拾すべきものであつた。しかるに同被告がこのような態度に出ることなく、かえつて、これら事情を知らない者たちが訳も判らないまま同女を弁護する原告をこもごも非難中傷し、そのために原告が孤立無援のなかで苦境に追い込まれていくのを拱手傍観したというのは、同被告には同女が不都合解雇となることを喜び、前記辞職願を審議する役員会を同被告の同女に対する私怨を晴らす場とする意図が生じ、そのためには原告を巻添えとするもやむなしとする心であつたと推測される。この推測は、同被告が傍聴者の一部から声のあつた調査委員会の設置要求を取上げ、後の役員会に議案として提出し可決するにいたらしめたことによつても裏付けられる。すなわち、前記認定第二項記載のような状況下で設置された調査委員会というものは、それが設置されたということだけでも原告の社会的声価を損うものであるが、その活動とても、前記(い)(ろ)(は)の諸事情を最も知つた者は塚本勝子、原告の両名と同被告であるところ、前両者はまさに調査すべき嫌疑の対象であつたから、これが真相の解明には是非とも同被告の冷静にして公平な証言が要つたわけであるが、同被告の場合は、真相を明らかにしようという積極的な意欲や熱意があつて、そのために調査委員会設置の議案を提出したというわけではないのであるから、このような片手落ちの調査委員会の活動によつて真相の究明は覚束なく、単に、原告や塚本勝子に対するいわれなき中傷や噂を拡散するためにしか役立たないものであることは同被告には当然判つていたことだということができ、これにより原告が一層の苦境におちいることは同被告の十分予測していたところというほかはなく、しかるに敢えてその挙に出たというべきだからである。
(へ) しかして被告西田博士及び同猿渡の両名は前認定第二項(ト)(チ)(リ)及び(ヲ)記載のとおり、他の組合員らの一部の者らと共同し、確たる証拠もないのに原告をいたずらに非難中傷した。この点、右被告両名にも故意または重大な過失がある。
(と) かくして、同調した組合員らを含めての被告ら三名の如上の故意ないし過失ある違法行為が大小相俟つて、原告は家庭においては妻子に対する権威を失墜し、組合内はもとより、手鎌地区一帯を中心として培つた永年の信用を失い名誉を毀損されることとなつた。それにより原告が精神的は多大の打撃を蒙つたことは明らかで、本件にあらわれた諸般の事情を斟酌するならば、被告らが民法第七一九条により連帯して原告に対し慰藉料として支払うべき額は金五〇万円が相当である。
二、次いで原告の被告らに対する謝罪広告の請求について判断するに、既に認定したところから明らかなように、原告は被告らの所為により大牟田市手鎌地区一帯を中心として自己の名誉を毀損せられたものであるから、もし原告の請求どおり、被告に西日本新聞朝刊筑後版に謝罪広告をなすべきことを命ずるなら、本件は筑後地区一帯に知れ渡り、被告らに必要以上の苦痛を与えることとなつて公平の原則に反する。弁論の全趣旨によれば、等しく大牟田市内であつても市内中心部に較べれば手鎌地区は未だ共同体意識の根強い、その意味で閉鎖的な地域社会であると認められるから、原告に対し特に名誉回復の措置をとるまでもなく本件判決を言渡せば、本件訴訟においてほぼ原告主張どおりの事実が裁判所によつて肯定され、原告に対し、被告らは金五〇万円の慰藉料を支払うべきこととなつたとの事実は旬日を出ずして当該地域内に知れるものと予想され、これにより原告は十分名誉を回復しうると考えられるので、この点の請求は棄却する。(井野三郎)